書名 | 単著・共著 | 年月 | 発行所、発表雑誌 (及び巻・号数)等の名称 | 編者・著者(共著の場合のみ) | 該当ページ数 | 概要 |
モンテヴェルディと西洋近代音楽の成立: オペラ《ポッペアの戴冠をめぐって》
(修士論文) | 単著 | 1984年01月 | 大阪大学大学院 | | | C.モンテヴェルディの作曲したオペラ《ポッペアの戴冠》の音楽が、楽曲の構造分析を通してそれ以前のルネサンス音楽には見られることがなかった「カデンツ(和声終止形)」とうい機能的組織によって構成されていることを見出し、西欧合理主義にも符合するそのカデンツの形成及びカデンツ的機能的思考こそが、ルネサンス音楽とは原理を異にする17世紀から20世紀にかけてのいわゆる西洋近代音楽の基礎となったことを証明した。 |
モンテヴェルディのオペラ《オルフェオ》における音楽的統一: 和声法と空間認識をめぐって | 単著 | 1988年03月 | 昭和61年度、62年度、文部省科学研究費補助金(一般研究B)研究成果報告書
| | pp. 63~97 | C.モンテヴェルディの作曲したオペラ《オルフェオ》の音楽を和声と調性に限って分析することにより、そのオペラ全体がニ調(調性のニ長調またはニ短調のいずれにも限定されない、ニ音を中心とする調性とは異なる音組織)を中心とする調プランによって構成され、そのニ調の響きの中に統一されていることを見出した。同時に、そういった響きによる楽曲の包含こそが実態空間とは異なるオペラの真の空間認識であることを説いた。 |
音楽における美的感動について
(研究ノート) | 単著 | 1988年03月 | 神戸学院女子短期大学研究紀要第21号
| | pp. 41~47 | 音楽が有する本質的特徴を美学的に思索し、それらを手掛かりとして、我々が何故に音楽に感動するのかという疑問を解く端緒を探った。その一つとして、W.A.モーツァルトの完璧な作品に見ることができるように、神が「無」から「有」を創造する営みを、人間は、芸術(音楽)の場に於いてならば実態のあるものからではあるが「有」を創造することによって模倣でき、そこに感動を得ることができるのではないかという推論に達した。 |
ルネサンス音楽からバロック音楽へ | 単著 | 1988年03月 | 神戸学院女子短期大学研究紀要第21号 | | pp. 115~122 | 西洋音楽史における最大の転換期の一つであると言われる1600年頃に音楽の様式が如何に変化したかを考察し、その上で16世紀の音楽と17世紀の音楽の本質的相違について論究した。その結果、17世紀に入ると芸術を自立させようとする時代精神の下、音楽も人間の側から離れ、人間の発露としてではなく、人間に対峙して立つ独立した世界を形成するもの、換言すれば人間に取り扱われる対象となったことが認められた。 |
C.モンテヴェルディの音楽的思考に関する一考察 | 単著 | 1989年03月 | 相愛大学研究論集第5巻
| | pp. 43~65 | 16世紀の音楽(ルネサンス音楽)と17世紀の音楽(バロック音楽)とでその本質が如何に異なるかを探るべく、16世紀から17世紀にかけて活躍した作曲家の一人であるC.モンテヴェルディの代表的劇用作品、《オルフェオ》、《タンクレディとクロリンダの戦い》、《ポッペアの戴冠》を取り上げ、それらの音楽に潜む原理的なるものを明らかにしようと試みた。その結果、それらの作品がもはや演劇として展開されるのではなく、音楽的時間に支配された音楽の世界にあるものとして取り扱われていることが理解された。 |
16・17世紀イタリアにおける記譜法の特色: 数字付低音譜の意味と意義 | 単著 | 1990年03月 | 相愛大学研究論集第6巻
| | pp. 23-30 | 数字付低音譜(Figured Bass)で記譜されたモノディ様式の音楽を考察し、数字付低音譜こそがバロック初期の音楽の特徴を捉えた記譜法であることを解説した。同時に、数字付低音譜が、誕生したばかりのホモフォニーの音楽である17世紀の音楽を、和音を収斂させていくことによって和声が確立した18世紀音楽へと導いたことも説いた。 |
音楽分析と現代: オペラ《ポッペアの戴冠》の詠唱「さらばローマ」をめぐって | 単著 | 1991年03月 | 相愛大学研究論集第7巻
| | pp. 17~21 | 詠唱「さらばローマ」において、音楽に携わる人間と音楽作品との隔置を隠蔽しようとする作曲家の意図を見て取った。現代に生きる音楽を生きるがままに分析する一つの方法として、こういった「隔置と隠蔽」ということに焦点を当ててみた。 |
マーラーの歌曲とシュトラウスの歌曲: 歌詞に見られる近代と現代 | 単著 | 1995年03月 | 相愛大学音楽研究所 音楽研究第1巻
| | pp. 18~26 | マーラーは歌曲の歌詞を採用するとき、好んで市民の身近な生活を題材にした詩を選んだ。それに対してR.シュトラウスの歌曲では、貴族的なロマン主義の詩が歌詞となっている。この相違は、R>シュトラウスが歌曲を歌ったり聴いたりする側の客観的な事柄として取り扱おうとしたことに由来する。そこに19世紀の音楽観と20世紀の音楽観との根本的な相違を見ることができる。 |
モーツァルト作曲オペラ《フィガロの結婚》 第二幕フィナーレに関する一考察 | 単著 | 1995年03月 | 相愛大学研究論集第11巻
| | pp. 1~14 | 《フィガロの結婚》 第二幕フィナーレを構成する8つの部分について各々の特徴を考察し、それらの巧妙な関連を見出した。またそのオペラにおいて、古典派音楽の特徴が楽節構造にまで及んでいることを理解し、作曲の意図がオペラの細部から全体に至るあらゆる段階で機能していることを説いた。 |
イタリア初期ロマン派オペラに関する一考察 | 単著 | 1996年03月 | 相愛大学音楽研究所 音楽研究第2巻
| | pp. 8~15 | 19世紀前半に活躍したイタリアの三人のオペラ作曲家、ロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニの作品が西洋音楽史上で果たした貢献について考察した。彼らのオペラは当時社会に台頭してきた市民に馴染みやすく、市民はオペラを通じて次第に芸術音楽に接近し、それを鑑賞することができるようになった。またベッリーニのオペラでは、人間の心理が描出されるようになり、そこに盛期ロマン派オペラの到来を窺うことができた。 |
ポーランド・ルネサンス音楽の諸相 | 単著 | 2001年03月 | 相愛大学音楽研究所 音楽研究第7巻
| | pp. 7~21 | フェルシュティンのセバスティアン、イエジ・リバン、クラクフのミコワイ、シャモトゥウィのヴァーツワフ、ミコワイ・ゴムウカといった16世紀のポーランドで活躍した代表的な作曲家を取り上げ、その活動を中心にポーランドのルネサンス音楽が西欧の音楽と本質を同じくすると同時に、他の西洋諸国の音楽とは異なる独自性を有していることも明らかにした。 |
V. ベッリーニのオペラ書法に見られる一側面: オペラ《ノルマ》第一幕第1場アダルジーザとポッリオーネの二重唱をめぐって | 単著 | 2002年03月 | 相愛大学研究論集第18巻
| | 1~26 | 論文のタイトルに掲げたオペラ《ノルマ》の二重唱の分析を通して、ベッリーニのオペラに見られる旋律と言葉の関係、及び旋律と音楽構造の関係を中心に、ベッリーニのオペラ書法の一端を検討しようと試みた。その結果、歌詞となる韻文や小節メトルムといった音楽構造がそこに大いに関与していることが理解された。 |
「中世ポーランド音楽の研究(1): 単旋律の宗教歌をめぐって」 | 単著 | 2007年03月 | 音楽研究(相愛大学音楽研究所)第10巻 | | pp.1-11 | 西洋クラシカル音楽の中欧・東欧的起源を探究し、その音楽の中欧・東欧的展開を検討するために、まず中欧において地理的のみならず民族的・文化的に、就中音楽的に大きな位置を占めるポーランドに限定し、上記に挙げた問題の検討を行なった。 |
「ポーランド音楽と西欧音楽との関係: 第16回ショパン国際ピアノ・コンクールの場合」 | 単著 | 2012年03月 | 研究論集(相愛大学)第28巻 | | pp.73-88 | 2010年に開催された「第16回ショパン国際ピアノ・コンクール」の内容及び結果から、ポーランド音楽に対して語られる「ポーランド的要素」と「西欧的要素」の止揚した演奏が主流となってきていることを明らかにし、ポーランド音楽に新しい理解が生まれていることを説いた。 |
Wpływ muzyki polskiej na muzykę europejską w okresie renesensu i baroku (tłmacz: Renata Sowińska-Mitsui)
| 単著 | 2012年12月 | Forum Polska Konferencja 2012 | | pp. 62-74 | ポーランドを代表する音楽「ポロネーズ」が誕生し確立するまでの過程を、マレンツィオ Luca Marenzio のマドリガーレ全曲、及びドイツのバロック音楽の源泉集 DDT (Denkmäler Deutscher Tonkunst 全65巻)を詳細に分析することによって解明しようと試み、その影響を解明にした。また一方で、そのポロネーズが西欧音楽に与えた逆向きの影響について検討した。 |
山田耕筰がめざした音楽 | 単著 | 2015年12月 | 山田耕筰先生没後50年記念演奏会実行委員会
「元相愛大学音楽学部教授・初代学部長 山田耕筰先生没後50年記念演奏会プログラム」 | | pp. 6~7 | 山田の作曲した有名な《赤とんぼ》は日本音楽だろうか、といった問いから始め、彼の音楽が本質的にドイツ音楽であり、山田自身、それに気づき、そこから脱出しようと考えていた。それをめざして山田は「融合芸術論」などの概念を考案していくが、音楽と身体運動との係わりが重要であるとまで進みながらも、新しい概念による音楽を創造するといった目的まで達することができなかったことを解説した。 |
近代日本における「音楽」と「音楽学」 | 単著 | 2016年03月 | 総合研究センター報告書「近代化と学問」 (相愛大学総合研究センター) | | pp. 159-174 | 明治期に入り、邦楽に替わって歌われるようになった唱歌をはじめとする音楽や西欧諸国から導入されたクラシック音楽について紹介し、他方で当時の「美」と「芸術」についての概念を検討することによって、それらの音楽の在り方を明らかにした。またそのような音楽についての当時の研究状況に始まり、その頃より70年ほど経た第二次世界大戦後に設立された音楽学会についてその現在に到る変遷や今後の方向性について考察した。 |
17世紀におけるイタリア音楽とポーランド音楽の相互影響に関する一側面 | 単著 | 2017年03月 | 相愛大学
研究論集第32巻 | | pp. 1~17 | 17世紀のイタリア音楽とポーランド音楽の関係に目を向けると、当時の西洋音楽の最先端を進んでいたイタリア音楽がポーランド音楽に一方的に影響をを及ぼしているように思われる。しかしその影響は、詳細に観れば、イタリア音楽は単純にポーランドの流入してはいない。例えば、イタリア音楽は17世紀に入ると、宗教的な傾向よりも世俗的な傾向を強めたのに対し、ポーランドでは宗教的な色彩が濃く、イタリア音楽の理論や構造を受け入れながらも、それを宗教的な方向へ向けようとしていたのである。さらに興味深いことには、ポーランド音楽の宗教性がイタリア音楽へ影響を及ぼし、ポーランドで活動するイタリア人作曲家によるポーランド語によるポーランドの聖人を讃える歌を作曲させた。ここに、音楽における宗教的な精神が、イタリア音楽からポーランド音楽へ向かう方向とは反対方向、つまりポーランド音楽からイタリア音楽に及ぼされていった様子を観ることができる。一方的でない両者の音楽の関係の一端が示せたと思う。
[査読有] |
中世西欧音楽の聖と俗 | 単著 | 2018年03月 | 相愛大学宗教部
法輪 第29号 | | pp.19~24 | 西欧の中世では、教会の音楽と世俗の音楽には、音楽を構成する音組織そのものが相違していたが、14世紀に入るとその相違は見られなくなった。それは両者の融合による解消のように見えるが、実態は13世紀以前の教会音楽が恣意的に区別していた仕切りが取り払われたことに因るものであった。
一方、生活において我々は聖と俗とを分離して捉える習慣があるが、それも実態は聖に包まれた中で、直接神仏と関わる部分と直接関わらない部分とに分離したものにすぎない。要するに音楽はすべてが宗教的活動であり、その中で直接神仏を讃える音楽が宗教音楽、そうでないものが世俗音楽とされているのである。
そのように捉えると、次に我々の音楽活動における人間性の存在が問われてくる。その際、仏に守られ、しかも人間性を尊重した浄土真宗のみ教えこそが我々の音楽活動を支えてくれることを解説した。 |