プロフィール

 

教員基礎情報
氏名 山本 幸男(ヤマモト ユキオ) 所属 日本文化学科 / 人文学科
ローマ字 専攻


学歴
入学卒業学校名学部・学科学位
 1976年03月岡山大学法文学部史学科学士
 1978年03月大阪市立大学大学院文学研究科前期博士課程(国史専攻)修士
 1984年03月大阪市立大学大学院文学研究科後期博士課程(国史専攻)単位取退学 
 2000年03月大阪市立大学大学院博士号取得博士
職歴(相愛大学)
開始年月終了年月学校名所属職名授業名
1989年04月1990年03月相愛大学人文学部専任講師 
1990年04月1998年03月相愛大学人文学部助教授 
1998年04月現在に至る相愛大学人文学部教授 
所属学会
正倉院文書研究会 / 続日本紀研究会 / 日本史研究会 / 史学会 / 大阪歴史学会
学協会活動
開始年月終了年月所属役職名
1990年10月現在に至る正倉院文書研究会幹事
2016年06月2018年06月大阪歴史学会代表委員
授業科目等(現年度を含む過去3ヶ年)
年度学期授業名
2009前期日本史入門1
2009前期日本史入門1留学生用
2009前期日本文化演習Ⅰ(4)
2009前期日本文化史A
2009前期日本史講読1A
2009前期日本文化演習Ⅱ(1)
2009前期日本史入門1
2009前期日本文化史A
2009前期日本史講読1A
2009前期卒業研究(1)
2009前期日本文化演習Ⅰ(4)
2009前期日本史講読1A
2009前期日本史入門1
2009前期日本史入門1留学生用
2009前期日本文化史A
2009前期日本文化演習Ⅰ(4)
2009前期日本文化演習Ⅱ(1)
2009前期卒業研究(1)
2009後期卒業研究(1)
2009後期日本文化演習Ⅱ(1)
2009後期日本文化演習Ⅰ(4)
2009後期日本文化史B
2009後期日本史講読1B
2009後期歴史資料論(古代史)
2009後期日本文化演習Ⅰ(4)
2009後期卒業研究(1)
2009後期日本史講読1B
2009後期日本文化史B
2009後期日本文化演習Ⅱ(1)
2009後期歴史資料論(古代史)
2009後期日本史講読1B
2009後期日本文化史B
2009後期日本文化演習Ⅰ(4)
2009後期歴史資料論1
2010前期日本史入門1
2010前期日本史入門1
2010前期日本史入門1留学生用
2010前期日本文化演習Ⅰ(4)
2010前期卒業研究(1)
2010前期日本文化演習Ⅱ(1)
2010前期卒業研究(1)
2010前期日本文化演習Ⅰ(4)
2010前期日本文化演習Ⅱ(1)
2010前期日本史入門1
2010前期日本史入門1留学生用
2010後期日本文化演習Ⅱ(1)
2010後期日本史講読1B
2010後期日本文化演習Ⅰ(4)
2010後期卒業研究(1)
2010後期日本文化演習Ⅱ(1)
2010後期卒業研究(1)
2010後期日本文化演習Ⅰ(4)
2010後期日本史講読1B
2011前期日本史入門1
2011前期日本史入門1留学生用
2011前期日本文化演習Ⅱ(1)
2011前期日本文化演習Ⅰ(4)
2011前期卒業研究(1)
2011前期日本史講読1A
2011前期日本史講読1A
2011前期日本史入門1
2011前期卒業研究(1)
2011前期日本文化演習Ⅰ(4)
2011前期日本文化演習Ⅱ(1)
2011前期日本史入門1
2011後期日本文化基礎講読1(歴史文化)
2011後期日本文化演習Ⅱ(1)
2011後期日本文化演習Ⅰ(4)
2011後期卒業研究(1)
2011後期卒業研究(1)
2011後期日本文化演習Ⅰ(4)
2011後期日本文化演習Ⅱ(1)
2012前期日本文化演習Ⅱ(1)
2012前期卒業研究(1)
2012前期日本文化演習Ⅰ(1)
2012前期日本史講読1A
2012前期日本史入門1
2012前期日本史入門1
2012前期日本文化史A
2012前期日本文化史A
2012前期日本史入門1
2012前期日本史講読1A
2012後期日本文化史B
2012後期日本文化基礎講読1(歴史文化)
2012後期日本文化史B
2012後期日本文化演習Ⅰ(1)
2012後期卒業研究(1)
2012後期日本文化演習Ⅱ(1)
2013前期人文学概論
2013前期日本文化演習Ⅰ(1)
2013前期日本文化資料論1A(古代史)
2013前期日本文化史A
2013前期日本史入門1(留)
2013前期日本文化史A
2013前期日本文化演習Ⅰ(1)
2013前期日本史入門1(留)
2013前期卒業研究(1)
2013前期日本文化演習Ⅱ(1)
2013前期歴史資料論1
2013後期日本文化演習Ⅱ(1)
2013後期卒業研究(1)
2013後期日本文化演習Ⅰ(1)
2013後期日本文化史B
2013後期日本史講読1B
2013後期日本文化史B
2013後期日本史講読1B
2013後期日本文化演習Ⅰ(1)
2013後期日本文化基礎講読1(歴史文化)
2013後期基礎演習B
2014前期日本文化資料論1A(古代史)
2014前期卒業研究(1)
2014前期日本文化演習Ⅰ(1)
2014前期日本文化演習Ⅱ(1)
2014前期卒業研究(12)
2014前期日本史入門1
2014前期日本文化史A
2014前期日本文化史A
2014前期日本文化史A
2014前期人文学概論
2014後期日本文化史B
2014後期日本文化史B
2014後期日本文化史B
2014後期日本史講読1B
2014後期日本文化基礎講読1(歴史文化)
2014後期卒業研究(12)
2014後期日本文化演習Ⅱ(1)
2014後期日本文化演習Ⅰ(1)
2014後期卒業研究(1)
2015前期日本文化資料論1A(古代史)
2015前期日本文化演習Ⅱ(1)
2015前期卒業研究(1)
2015前期日本史入門1
2015前期日本文化史A
2015前期日本文化史A
2015前期文化資料論A(歴史文化)
2015前期人文学概論
2015前期専門応用演習A
2015後期専門応用演習B
2015後期日本史入門
2015後期日本文化特殊講義(歴史文化)
2015後期日本文化史B
2015後期日本文化史B
2015後期日本史入門2
2015後期卒業研究(1)
2015後期日本文化演習Ⅱ(1)
2015後期日本文化特殊講義1(歴史文化)
2016前期専門応用演習A(1)
2016前期日本文化史A
2016前期日本文化史A
2016前期文化資料論B(歴史文化)
2016前期日本史入門
2016前期専門研究演習(3)
2016前期専門研究演習(3)
2016後期卒業研究(3)
2016後期卒業研究(3)
2016後期日本文化特殊講義(歴史文化)
2016後期日本文化史B
2016後期専門応用演習B(1)
2016後期専門基礎演習B(2)
2017前期日本文化史A
2017前期文化資料論A(歴史文化)
2017前期日本史入門
2017前期専門研究演習(3)
2017前期専門研究演習(3)
2017前期日本文化史A
2017前期日本文化基礎講読1(歴史文化)(「文化資料論A(歴史文化)」)
2017前期専門応用演習A(1)
2017後期専門応用演習B(1)
2017後期専門基礎演習B(2)
2017後期卒業研究(3)
2017後期卒業研究(3)
2017後期社会人基礎力実践
2017後期文化資料論B(歴史文化)
2017後期日本文化特殊講義(歴史文化)
2017後期日本文化史B
2018前期日本文化史A
2018前期文化資料論A(歴史文化)
2018前期日本史入門
2018前期人文学概論
2018前期専門研究演習
2018前期専門研究演習
2018前期専門応用演習A
2018後期専門基礎演習B(1)
2018後期専門応用演習B
2018後期卒業研究
2018後期卒業研究
2018後期日本文化特殊講義(歴史文化)
2018後期日本文化史B
2019前期日本文化史A
2019前期文化資料論A(歴史文化)
2019前期歴史と資料
2019前期専門研究演習
2019前期専門研究演習
2019前期専門応用演習A(1)
2019前期日本史入門
2019前期人文学概論
2019後期卒業研究
2019後期卒業研究
2019後期専門応用演習B(1)
2019後期専門基礎演習B(4)
2019後期歴史文化特殊講義
2019後期日本文化特殊講義(歴史文化)
2019後期日本文化史B

教員研究業績
研究分野: 日本古代史
研究キーワード: 正倉院文書  / 奈良朝仏教史 / 東大寺 / 遣唐使
研究業績に関する事項
著書
書名単著・共著年月発行所、発表雑誌 (及び巻・号数)等の名称編者・著者(共著の場合のみ)該当ページ数概要
写経所文書の基礎的研究単著2002年02月吉川弘文館 全618東大寺の正倉院に伝来した古文書、すなわち正倉院文書の大半は写経関係文書で構成されているが、本書では天平宝字年間(757-764)の文書群を紙焼写真、写本、原本調査等を元に復原を試み、各写経事業の実態の解明をめざしたものである。構成は以下のごとくである。序章・課題と方法 第1章・天平宝字二年の御願経書写 第2章・天平宝字四年~五年の一切経書写 第3章・天平宝字六年~八年の御願経書写 終章・写経文書群が語るもの (本書は、直接出版費の一部として日本学術振興会平成十三年度科学研究費補助金(研究成果公開促進費)の交付を受けて出版される)
奈良朝仏教史攷単著2015年11月法藏館 全506正倉院文書の分析・検討から得られた知見をもとに、『延暦僧録』(逸文)等の仏教関係文献を考察し、従来とは異なる視点から奈良朝仏教の内実を明らかにしようとした。主に既発表論文をもとに構成。章立てを示すと以下のようになる。序章・本書の構成と梗概 第1章・天平十二年の『華厳経』講説 第2章・『華厳経』講説を支えた学僧たち 第3章・東大寺華厳宗の教学と実践 付論1・華厳宗関章疏目録 第4章・慈訓と内裏 第5章・天平宝字二年の『金剛般若経』書写 第6章・孝謙天皇と道鏡 付論2・法華寺と内裏 第7章・早良親王と淡海三船 第8章・文室浄三と無勝浄土 第9章 道璿・鑑真と淡海三船 第10章・石上宅嗣と『維摩経』 第11章・玄ボウ将来経典と「五月一日経」の書写
正倉院文書と造寺司官人単著2018年06月法藏館 全519東大寺の正倉院に伝来した写経関係文書のうち、天平宝字年間(757-765)の文書群を整理・検討(その成果は、2002年に吉川弘文館から『写経所文書の基礎的研究』として上梓)する過程で得られた諸論文に改訂を加えて構成したのが本書。章立てを示すと次のようになる。序章・正倉院文書研究の視角と方法 第1章・造東大寺司主典安都雄足の「私経済」 第2章・天平宝字二年造東大寺司写経所の財政運用 第3章・市原王と写経所 第4章・正倉院文書に見える「鳥の絵」と「封」 付論1・天平宝字年間における経師・装こう・校生の動向 第5章・正文に転用された反故文書 第6章・造石山寺所の帳簿 第7章・造石山寺所の帳簿に使用された反故文書 付論2・反故にされた万葉仮名文書 第8章・奉写御執経所・奉写一切経司関係文書の検討 別篇・日中比較研究と正倉院文書
論文・解説等
書名単著・共著年月発行所、発表雑誌 (及び巻・号数)等の名称編者・著者(共著の場合のみ)該当ページ数概要
奉写御執経所・奉写一切 経司関係文書の検討ー伝来の経緯をめぐってー単著2004年03月相愛大学研究論集 第20号 p47-111  正倉院文書の大半は、東大寺造営機関の写経所で作成された帳簿類から成るが、その中に天平神護~宝亀年間(765~780)に内裏系統の奉写御執経所・奉写一切経司で作成された経巻奉請文書が残っている。本稿では、その理由を検討し、本来「経藏」もしくは「北倉代」に置かれていた当該文書が、経巻奉請の責任者である建部広足の死去によって上馬養の手に渡り、馬養は案主として勤める奉写一切経所(造営機関系)に持ち込むことによって、現状のように伝来したのではないか、との見通しを得るに至った。
反故にされた万葉仮名文書単著2004年08月日本歴史 675号  正倉院文書には「万葉仮名文書」とよばれる文書が2点存在する(『大日本古文書』未収)。未解読のため内容は不明だが、その紙背が造石山寺所の帳簿に使用されていることから、帳簿を作成した案主との関わりの中で、当該文書の性格を検討した。
天平十二年の『華厳経』講説ー金鐘寺・元興寺・大安寺をめぐる人々ー単著2004年10月続日本紀研究会編『続日本紀の諸相』(塙書房)所収  大仏造立の教学的研究を目的に、天平12年(740)から良弁によって金鐘寺(後の東大寺)で開始された『華厳経』講説の最初の講師に請じられたのは、大安寺に止住する新羅留学生の審祥であった。当時の大安寺や元興寺には華厳に通じる碩学が複数いたが、その中で審祥を抜擢した背景には、聖武天皇から信任を厚くする玄昉の思惑があった。本稿では、関係史料の分析を通して、開講に至る経緯の解明につとめた。
孝謙太上天皇と道鏡ー正倉院文書からみた政柄分担宣言期の仏事行為ー単著2004年10月続日本紀研究 352号 (査読有り)  天平宝字6年(762)5月、淳仁天皇と孝謙太上天皇との間に道鏡をめぐって隙が生じた。孝謙は、淳仁に対し天皇大権の行使を宣言するが、同8年10月に孝謙が実質的に天皇に復帰するまでの間、孝謙と道鏡のもとに大量の三昧関係の経典が集められ、書写や転読がなされた。本稿では、この仏事行為の持つ意味を分析し、仏力の加護による政治をめざす孝謙・道鏡の様相を再現した。
藤原良継・百川ー時代を変えた式家の俊英ー単著2005年12月栄原永遠男編『平城京の落日』〈古代の人物 第3巻〉(清文堂)所収  藤原四子の北家・南家・式家・京家のうち、最初に権勢を得たのは南家であった。とりわけ藤原仲麻呂は、光明皇后(皇太后)の権威のもと専権を振るったが、孝謙・道鏡との対立の中で反乱に失敗し、南家は衰退した。仲麻呂後の政界で台頭したのは式家の藤原良継と弟の百川であった。本稿では、この両者の政治的資質などを考察し、称徳(孝謙)・道鏡体制、光仁体制下での動向を明らかにした。
摂津国府遷建と難波地域ー天長二年の施策をめぐってー単著2006年03月栄原永遠男・仁木宏編『難波宮から大坂へ』(和泉書院)所収  天武天皇の時代に、上町台地の北端に副都として築かれた難波宮は、聖武天皇の時代に再建され、京域も設定されて威容をあらたにした。しかし、延暦3年(784)の長岡遷都にともなって廃されると、これ以降、上町台地を中心とする摂津国の難波地域の政治的地位は低下し、天長2年(825)には国府が豊島に遷されるとともに、同地域も和泉国に移管されることになった。この移管は、住民の反対でまもなく撤回され、国府も承和11年(844)に難波地域へ戻されるが、本稿では、以上の経緯を考察し、難波地域の特質を検討した。
『華厳経』講説を支えた学僧たちー正倉院文書からみた天平十六年の様相ー単著2006年12月南都仏教 第87号 p38-63(査読有り)    天平12年(740)から金鐘寺(後の東大寺)で開始された『華厳経』講説は、多くの学僧によって支えられ展開するが、正倉院文書には彼らの動向を伝える文書や帳簿がいくつか残っている。その中で重要なのが「経律論疏収納帳」で、ここには天平16年前後における「五月一日経」書写に必要な底本の借用・返却に関する記事が収載され、学僧らの所持経典等が明記されている。本稿では、この帳簿の分析を通して、慈訓を中心に研究会のようなものが組織されていたこと、これが核となって東大寺の華厳学が形成されることなどを明らかにした。
慈訓と内裏ー「花厳講師」の役割をめぐってー単著2008年03月仏教史学研究 第50巻第2号 p1-29 (査読有り)  華厳の碩学である慈訓は、『華厳経』信仰に傾倒する聖武天皇や光明皇后の信任を厚くし、次第に内裏との関わりを深めていく。そのような中で、慈訓は「花厳講師」となり光明から厚遇を受けるが、これは、則天武后に範を求める光明が、武后が華厳学を大成した法蔵を重用した例にならったものと見られる。慈訓は、その後、少僧都・興福寺別当となり仏教界で重きをなす。通説では、この栄達を藤原仲麻呂との関係で解釈するが、本稿では光明との繫がりを重視し、慈訓の行動を跡付けた。
東大寺華厳宗の教学と実践ー天平勝宝三年の「章疏目録」を通してー単著2008年12月南都仏教 第91号 (査読有り)  天平勝宝年間(749ー756)になると、東大寺内に六宗(六つの学派)が形成され、仏教研究の進展がはかられた。中心となったのは華厳宗であったが、その学問内容は天平勝宝3年の「章疏目録」から推し量ることができる。本稿では、最近の仏教学の成果に学びながら、「目録」に記される各書目の相互関係を分析し、東大寺の華厳宗では、法蔵教学の摂取を主眼としつつ、この教学と不可分の関係にある『大乗起信論』や『楞伽経』の諸注釈類を学び、止観法などの実践を通して『華厳経』の奥義を理解する仕組みが作られていたことを明らかにした。
華厳宗関係章疏目録ー勝宝録・円教録を中心にー単著2009年03月相愛大学人文科学研究所研究年報 第3号 p25-34  東大寺華厳宗のための必備の書目を記した天平勝宝3年(751)の「章疏目録」を基礎に、その後の「円超録」「凝然録」「永超録」「義天録」に示された華厳関係の書目を補い、一覧化を試みた。
日中比較研究と正倉院文書単著2009年12月『中日文化比較研究論集』第1輯(中国・東北大学出版会)所収 p105-114  東大寺の正倉院に伝来する正倉院文書の大半は、天平~宝亀年間(729~780)に東大寺(前身は金鐘寺、金光明寺)の造営機関の写経所で実施された写経の帳簿からなっている。その内容は局面的といわねばならないが、写経に従事した人々の衣食住にかかわる事柄が具体的に示されていて、世界史的にも貴重な文書群と評価されている。その研究は次第に国際的なものになってきているが、中国ではまだ進められてはいないようである。本稿では、日中の研究者が共同で研究を行うに当たっての、いくつかの方法を提言した。
藤原豊成の難波別業ー正史にみえる別業事例との比較を通してー単著2010年10月栄原永遠男編『日本古代の王権と社会』(塙書房)所収 p281-296  藤原仲麻呂は、専権を確立するため、天平勝宝9歳(757)に発覚した橘奈良麻呂の謀反計画に荷担した王族・貴族を一掃するが、その中に右大臣であった兄の豊成も含まれていた。大宰府への左遷を命じられた豊成は、病を理由に難波の別業(豊成の別荘)に留まり、任地に赴こうとはしなかった。それは天平宝字8年(764)の仲麻呂の失脚時まで及んだが、本稿では、長期の滞留が可能になった理由として、別業が天皇の難波行幸時の接遇所として使用されるなど天皇ゆかりの場であり、仲麻呂といえども手出しが出来なかったことなどを指摘した。
文室浄三の無勝浄土信仰ー「沙門釈浄三菩薩伝」と「仏足石記」を通してー単著2011年03月相愛大学研究論集 第27巻 p1-33  奈良時代の浄土信仰は追善の域を出ず、願生信仰には至っていないと見るのが通説的である。しかし、思託の『延暦僧録』(逸文)には、浄土への往生を願う貴族らの信仰生活の様相が具体的に記されいる。本稿では、その中から奈良時代後半の政界で重きをなした文室真人浄三の信仰を取り上げ、薬師寺に残る「仏足石記」と併せて考察して、浄三が『涅槃経』に説かれる無勝浄土への往生を願っていたこと、この信仰は元興寺僧との交流の中で得られていたこと、などを指摘した。
海を渡った唐僧鑑真ー日本の唐文化受容をめぐる一齣-単著2011年07月『中日文化比較研究』第2輯(中国・東北大学出版会)所収  日本への渡海を試みること六度目にして成功した鑑真は、唐において主流であった三師七証に基づく具足戒の普及に努めようとした。しかし、当時の日本の仏教界では正式の僧になるには自誓受戒でよく、具足戒に対して抵抗を示す僧が多かった。天皇の意向もあって、鑑真とその弟子達は旧戒の放棄を進めて行くが、天平宝字7年(763)に鑑真が没すると、具足戒は次第に敬遠されるようになり、結果的には日本に定着出来ずじまいとなる。本稿では、これを日本の外来文化受容の一事例ととらえ、受容に至らなかった事情について考察を加えた。
道璿・鑑真と淡海三船ー阿弥陀浄土信仰の内実をめぐってー単著2012年11月仏教史学研究 第55巻第1号 (査読有り)  『延暦僧録』によると、奈良時代を代表する知識人である淡海三船は、阿弥陀浄土への往生を願っていたという。本稿では、三船が幼少時に師事していた唐僧道璿の学系及び学問内容、修行方法などを検討し、三船の目指す浄土は華厳の蓮華蔵世界であったが、智儼の説いた往生義に従い、まずは前段の阿弥陀浄土への往生を願ったこと、後に師事した鑑真は天台の浄土信仰を持っていたが、三船はその影響を受けていなかったこと、などを指摘した。
市原王と写経所ー舎人・「長官」・玄蕃頭時代の役割をめぐってー単著2014年12月続日本紀研究会編『続日本紀と古代社会ー創立六十周年記念ー』、塙書房 421-444天平11年(739)から天平勝宝3年(751)尓かけての写経関係文書(正倉院文書)に、天智天皇の曾孫安貴王の子である市原王が、舎人として、あるいは「長官王」と称されて頻出する。本稿では、この市原王と写経所の関係を考察し、王は舎人時代は光明皇后に仕えて皇后御願の写経を管轄し、その後も左大舎人頭、玄蕃頭として宮中の仏事に関わった関係で、写経所の案主らと親密な関係を持ち、帳簿類にその名がよく現れることになった、点などを明らかにした。
石上宅嗣と『維摩経』ー仏教、老荘思想との交渉-単著2015年11月山本幸男『奈良朝仏教史攷』、法藏館(本書にて初出) 346-383『続日本紀』天応元年(781)6月辛亥条の「薨伝」と『延暦僧録』の「芸亭居士伝」(逸文)によれば、淡海三船とともに天平宝字以降の「文人之首」と讃えられた石上宅嗣は、自邸を寺院として、その境内に池山をしつらえ、芸亭と名付ける外典院の他に、一床のみを備えた方丈室をもうけ、自らを『維摩経』の主人公の維摩詰に擬えて、妙喜国への往生を願った、と見えている。本稿では、こうした『維摩経』への信仰は、天平勝宝6年(754)に来朝した鑑真のもつ天台教学の影響を受けるもので、このとき帰国した遣唐使らの王維に関する情報(輞川荘など)をもとに、寺院化した邸宅の景観をしつらえたのではないか、と想定した。
聖武の浄土、光明の浄土ー蓮華蔵世界と阿弥陀浄土の関係をめぐってー単著2016年03月人文学研究創刊号 1-22正倉院に伝来する「国家珍宝帳」によると、全国に国分僧寺・尼寺の造営を命じ、盧舎那大仏の鋳造を発願した聖武天皇は、没後、生前から往生を願っていた蓮華蔵世界へ、聖武の仏教信仰を支えていた光明皇后は、『続日本紀』によれば、没後、阿弥陀浄土へ往生したと伝えられている。聖武と光明の仏教信仰は一体と考えられるのに、どうして往生先が異なるのか。この点について、華厳教学を大成した法蔵の師である智儼の著作『華厳孔目』に、中・下の能力のものは、娑婆世界では雑悪によって修行が後退するので、まずは阿弥陀浄土に生じて修行を完成させ、その上で真実の仏国である蓮華蔵世界へと還来する、との説があるのが注目される。これを適応すれば、聖武は能力が上なのでそのまま蓮華蔵世界に往生できたが、光明は中・下なので、阿弥陀浄土に生じる必要があったことになる。世俗の権力構造が、往生先を決めると言うことであろうか。
正倉院文書からみた市原王の仏教信仰単著2017年03月人文学研究第2号 1-13市原王と写経所の関係については、先に考察を加えたが、ここでは天平15年から作成されだす、「五月一日経」書写の底本の収納を記録する「律論疏集伝本収納幷返納帳」をもとに、市原王の仏教書の所蔵状況について検討を加えた。その結果、大乗仏教の入門書とも言うべきものとして、『大乗起信論(新訳)』、僧肇の『肇論』の注釈暑、吉藏の『三論玄義』、李師政の『法門名義集』、因明学では『因明正理門論』『因明入正理論』が、戒では道宣が『四分律』を解説した『六巻抄』、菩薩戒を示す『梵網経』、禅定では『止観法門』『心遊法界記』『華厳発蘊心』等が認められた。仏道修行への真摯な取り組みが窺われるが、その中で元暁の『金剛三昧論』への傾倒が注目される。その解明は今後の課題である。
奈良朝貴族と新羅仏教単著2018年11月『新羅仏教の思想と文化ー奈良仏教への射程ー』(ザ・グレイトブッダ・シンポジウム論集第16号)東大寺 67-837世紀後半の新羅仏教は、唐仏教に比肩するぐらいの高度な水準に達していた。当時の日本からは多くの留学僧が派遣され、学をなして帰国した彼らは、僧綱の要職に就くなどして、新羅仏教の普及につとめたものと見られる。ところが、その後の経緯を伝える記録がほとんど残らず、奈良朝の仏教は、唐留学僧や唐僧がもたらせた法相宗・三論宗・華厳宗・律宗といった唐の宗派仏教の影響下に展開することになる。これは、新羅仏教を代表する元暁の学問が異なる教説を会通することに主眼があり、多数の経論の注釈書を著して唐でも高い評価を得たこと、それに続く学匠も同様の学問傾向を持っていたことと関連するだろう。つまり、日本にもたらされた新羅仏教は、経論解釈の面で大きな役割を果たしため、表面化しなかったためとみられる。その中で、奈良朝の後半を代表する知識人である淡海三船が、元暁の『金剛三昧経論』に傾倒していたことが注目される。新羅仏教は、こうした貴族の仏教信仰との関わりの中でも、今後、検討を進める必要があるだろう。
その他
書名単著・共著年月発行所、発表雑誌 (及び巻・号数)等の名称編者・著者(共著の場合のみ)該当ページ数概要
回顧と展望:2005年歴史学会・回顧と展望ー古代・九(史料)単著2006年05月史学雑誌 第115巻第5号   木簡・墨書土器などの出土資料や正倉院文書をめぐる研究状況を整理・紹介し、今後の課題を提示した。
書評:直木孝次郎著『日本古代の氏族と国家』単著2006年05月週刊読書人  各章の内容を紹介し、著者の近年の研究に占める本書の位置付けを試みた。
公開講座:奈良朝貴族の仏道修行単著2006年10月相愛大学公開講座 於北御堂津村別院  『続日本紀』『延暦僧録(逸文)』等に見える貴族の仏教信仰の様相を整理し、教義研究と修行実践に取り組む姿を明らかにした。
書評:西洋子・石上英一編『正倉院文書論集』単著2006年11月日本歴史 702号  収載論文の内容を紹介し、それぞれについて短評を加えるとともに、今後の正倉院文書研究の方向性などを展望した。
公開講座:正倉院文書の世界Ⅰ・Ⅱ単著2007年05月相愛学園120周年記念公開講座 於北御堂津村別院  正倉院文書の概要を解説し、そこから知られる奈良時代の写経の様相や、写経従事者の動向などを、2回に渡って取り上げた。
随想:市大日本史研究会10年の節目に寄せて単著2007年05月市大日本史 10号  研究会がまだなかった院生の頃(1980年代)を回想し、現在の利点と今後の課題について思いを述べた。
書評:宮崎健司著『日本古代の写経と社会』単著2007年06月日本史研究 538号   
発表:正倉院文書研究の方法と課題単著2008年09月東北大学外国語学院中日文化比較研究所主催・中日文化比較研究国際シンポジウム 於中国・瀋陽   
公開講座:奈良時代の天皇と仏教単著2008年11月相愛学園120周年記念公開講座 於相愛大学人文学部   
発表:日本に渡った唐僧ー鑑真を通して見た唐文化受容の様相ー単著2010年09月東北大学外国語学院中日文化比較研究所主催・第2回中日文化比較研究国際シンポジウム 於中国・瀋陽   
公開講座:平安遷都後の難波地域単著2010年10月相愛大学人文学部公開講座 於人文学部   
発表:石上宅嗣の仏教研究単著2012年09月東北大学外国語学院中日文化比較研究所主催・第3回中日文化比較研究国際シンポジウム 於中国・瀋陽   
発表:鑑真渡日の文化史的意義をめぐって単著2012年09月中日国交正常化40年回顧と展望・国際学術シンポジウム 於中国・遼寧大学