 |
|
|
|
 |
|
Name |
Ishimoto Hiwako |
Organization |
子ども発達学科 |
Name(Japanese) |
石本 日和子(イシモト ヒワコ) |
Major |
|
|
- Education
-
Start date | End date | Name | Department | Degree |
| 03, 1983 | Kobe University | Faculty of education, | Bachelor of educatin |
| 03, 2015 | Mukogawa Women's University | Division of Clinical Pedagogy | Master of education |
- Job(Souai University)
-
Start date | End date | School name | Organization | Job | Lesson |
04, 2022 | Up to now | Soai University | Departmennt of Child Development Studies | Lecturer | Japanese,Teaching Methods of Japanese |
- Lesson (The past three years containing the present fiscal year )
-
Year | Term | Name |
2021 | Second half | 生活科指導法 |
2022 | First half | 国語(書写を含む) |
2022 | First half | 国語科指導法 |
2022 | First half | ベーシックセミナー |
2022 | All year | 保育・教育マネジメントB・C・D |
2022 | All year | 教育実習の指導(事前事後指導) (小) |
2022 | All year | 子ども学専門演習 |
2022 | All year | 保育・教育マネジメントA |
2022 | All year | 教職特別演習 |
2022 | All year | 教育実習(実地実習) (小) |
2022 | All year | 保育・教育インターンシップ |
2022 | Second half | 生活科指導法 |
2022 | Second half | 生徒指導論 |
Special Field: |
国語科教育(表現) |
Keyword: |
|
- The matter about research achievements
-
Name | Collaboration | Date | Note | Editor | Page | Outline |
『道徳教育の批判と創造: 社会転換期を拓く』 | Collaboration | 04, 2019 | エイデル研究所 | 教育科学研究会道徳部会編
藤田昌士、奥平康照 | 178~198頁「子どもが安心する教室を」 | 2018年4月に「特別の教科道徳」が始まった。「考え、議論する道徳」を6年生の子どもたちと生み出すために何が必要か考え、実践した記録。子どもにとって、自分を理解し、受け止めてくれる友だちと教師がいて、安心できる教室づくりがあって、その関係性の中で、道徳の授業が成り立ち、道徳性が深まる道筋を明らかにしたいと考えた。「身分制度」と子どもたちがよぶ「いじめ」の構造を考えあい、人権としての性教育の必要性も見据えながら歩んだ1年間だった。 |
『コロナ時代の教師の仕事』 | Collaboration | 07, 2020 | 旬報社 | 教育科学研究会「教室と授業を語る部会」編 | 13~22頁「子どもを寿ぐ学校を」 | 3月末の全国一斉休業要請から始まった3か月の学校閉鎖。学校再開でどのように子どもたちを迎えるのか、どんな授業で学びを始めるのか、学校・学年みんなで話し合った。6年生は、まど・みちおの「ぼくが ここに」を読みあうことから始めた。詩の世界をくぐりながら、かつて経験したことのない災禍の中で、子どもたち一人一人が、自分の存在について考え、不安を抱えた自分を表現した。弱い自分、頑張り切れない自分を見つめる子どもを、まるごと受けとめ、命を「寿ぐ」ことこそコロナ禍の教育実践を支える思想ではないかと、問いかけた実践。 |
Name | Collaboration | Date | Note | Editor | Page | Outline |
「東日本大震災後の日本で考える小学校教師の専門性」 | Single | 03, 2015 | 武庫川女子大学臨床教育学研究科 | | 1頁~100頁 | 東日本大震災が起きた時、阪神淡路大震災で体験したことが、再び想起された。当時6年生だった子どもたちは、青年になり、東日本大震災のボランティアに赴く。東北の子どもたち、人々への表現が、当時表現できなかった自身の悲しみや被災者にされてしまう恥辱感への表現となって現れる。
当時見せてくれていた「輝く笑顔」も事実に違いないが、その底にあった感情をなぜ、教師として感じえなかったのか。子どもの表現を受け止めためには、どのような専門性が必要なのか、考えた論文。
|
「被災体験の自己理解と教師の支援―阪神淡路大震災時小学生だった青年の「語り」からの考察―」(査読有) | Single | 03, 2016 | 『臨床教育学研究』第4巻、日本臨床教育学会 | | 56-70頁- | 阪神淡路大震災を小学校6年生で体験した子どもが内在させていた複雑な感情を16年後のインタビューから考察した。
そして、子どもを理解するために必要な教師の専門性は、まず「子どもの傍らに佇む」姿勢であることを想起する。「子どもの傍らに佇む」とは、子ども自身が語りだすのを待つことが、教育実践を生み出すプロセスを形成していくという意味である。
|
Name | Date | Outline |
第47回広島市同和教育研究大会 記念講演 | 09, 1998 | 「阪神・淡路大震災の中で、人権問題を考える」―かがやく笑顔ふたたびー
阪神淡路大震災の体験から、一番大切だったのは被災した子どもたちの人権を大切に、学級、学校、地域を生みなおそうという努力だったことを講演した。
|
- Fund acceptance situation
-
|
|
|
|
|